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くらしのちえ

良いものは作り手の知恵が詰まっています。選んだもので暮らしはつくられます。そんな暮らしの一部を紹介します。

街は無料の博物館

「街は無料の博物館、陳列品は無尽蔵。発見するのはあなたです」

街を歩くと見つかるもの。家、ビル、電信柱、階段、壁、扉。これらは、見方によっては、非常に楽しく見ることができる。そう、博物館のように。

 

そんな街の読み解きをする、東京路上探検記を読みました。尾辻克彦さん、またの名を赤瀬川原平さん。

東京路上探険記 (新潮文庫)

東京路上探険記 (新潮文庫)

 

 

街にある超芸術

街の中の道路や建物に、人知れずひっそりとある造形物を超芸術と命名。人知れずにあるというのは、そこにあるのだけれど誰も意識されない。意識されていないけれど、人の手当てを受けてその場に残っているもの。

 

そんなものは「役立たずの度合いでは芸術作品とほとんど等しい存在でありながら、しかし芸術作品にまつわる文化的価値をも超えたところの、超芸術的存在物件」なのだといいます。

 

赤瀬川さんが実例としてあげるのは、御茶ノ水にあった門。この門は、門なのだけれど、入口がふさがっていて、中に入ることはもはやできない。しかし、門という形は残っているが、しかし、人が入るという本来の門の機能は果たしていない。無用門と名付けられた。

また一例で挙げられているのは、四谷にあった階段。階段はあるけれど、登ったところに入り口がない。なんらかの事情で入り口は廃止されたけれど、階段だけ残った。本書では、純粋階段(別名、四谷階段)と名付けている。

 

こんな感じで街中に人知れずある造形物=超芸術は、そこに超芸術を見る人に発見されることで、初めて超芸術としての顔を表すのです。だれも、見つけようと思わなければ、超芸術なんてものはどこにもないのですが、そこにある種の芸術性を見ようとする考え方なのです。街にあるただのものでも、こんなふうに味わえるとは驚きです。

 

超芸術の楽しみ方

街を歩いた時に見つけられる超芸術。超芸術には、ニックネームがあり、トマソンというそうです。1982年に読売ジャイアンツに外国人助っ人として超高給で雇われた、ゲーリー・トマソンが、全く期待された成果が出せず無機能だったことにちなんで、街にひっそりとある、無機能な造形物をトマソンとなずけたといいます。シャレが効いていて素晴らしい。

 

そんなトマソンをとある場所で見つけました。アメリカで宿泊したある部屋のバスルームの天井横のドア。

 

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ドアなのですが、空中に浮いていて入りようがありません。

 

トマソンを見つけた時、どのように味わえばいいのでしょうか。

本書では、その味わい方も紹介しています。なぜそこにそのトマソンができたか、その出来上がりまでの過程を頭の中に浮かべながら過ごすのです。そうすると、そこまで至った時間の流れと今ある造形物とを想像によってつなぐことで、不思議な気分を味わおうということのようです。

 

さてさて、今回のこの写真のトマソンはどのような過程で出来上がったのでしょうか。

 

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